2021-02-24 第204回国会 衆議院 財務金融委員会 第6号
今、女性の話がよく出てきますけれども、少なくとも、津田梅子というのは、日本でいけば初めての、女子の海外留学生第一号ということになるんだと思いますが、帰ってこられてからも津田塾等々いろいろな貢献をされたことも確かですし、北里先生は、今、科学技術とか医学とかいろいろ言われておりますけれども、そういった中で、この人とか野口英世とかというような方々の貢献された部分というのはいろいろな意味で非常に大きく、今の
今、女性の話がよく出てきますけれども、少なくとも、津田梅子というのは、日本でいけば初めての、女子の海外留学生第一号ということになるんだと思いますが、帰ってこられてからも津田塾等々いろいろな貢献をされたことも確かですし、北里先生は、今、科学技術とか医学とかいろいろ言われておりますけれども、そういった中で、この人とか野口英世とかというような方々の貢献された部分というのはいろいろな意味で非常に大きく、今の
津田梅子という人も、これは日本で初めてで、たしか岩倉具視と一緒に初めて留学して海外に行ったまま日本に帰ってこず、そのまま残ったのかなんかして、とにかく、学校をその後、教育やら何やらでえらい発展して、最初のキャリアウーマンじゃないかと思うぐらい、明治の維新で頑張られた最初の帰国子女であったんだろうと思いますし、北里先生はもうペスト菌やら何やら有名な方だと思いますので。
私も医療出身でございまして、北里先生を敬愛する者の一人として、この学習と交流ということを根本としながら、このツーリズムを進めていくということのお話、大変に感慨深いものがございます。 次でございますが、木材の自給率についてちょっとお伺いしなければならないなと思っております。
先ほど具体的な事実がございましたけれども、そのほかの諸君、たとえば北里先生であるとかあるいは音楽の滝廉太郎というようなものの記述はあるわけでございまして、全体としての記述がわが国の歴史に対してどういうような触れをしておるか、こういうところで国土に対します理解、愛情というものを育てていくということになるだろうと思うのです。
ここにございます北里柴三郎伝、この北里先生に関するところの問題であります。北里先生が 内務省より貸下を受けた芝区愛宕町の地所に研究室及付属病室を建てることとし、其の設計成り明治二十六年五月将に工事に着手せんとした。然るに端なくもここに一大難問題が生じて来た。其は区内に伝染病研究所の如き危険なものを設立させてはならぬと芝区民多数の猛烈なる反対運動の起ったことである。
只今仰せの通り北里先生は実に御立派なかただと私どもは感じておるものであります。ただ郵政省がいろいろな先輩の偉人のかたがたを切手にするという措置をとるにつきましては、郵政省がこの人は切手にする価値があるとかないとかいうことを簡單に我々がこれをお話合の上できめるというには、郵便切手というものによつて表彰せられる影響というものを考えますと、非常に愼重にしなければならない、かように私ども考えております。